水中考古学/船舶・海事史研究は日本水中考古学の発展を目指しています。
年代 1600BC? 水深 27-33m 発掘 1975年
土器の分布が確認されたが船体は見つかっていない。沈没船ではなく遺物 が投棄された場所か?
2.Uluburun ウルブルン イメージ
年代 1300BC
水深 41-61m
発掘 1984-1994
潜水時間 22500時間
船体 長さ15m
世界最古の確認され発掘された沈没船である。エジプトからの財宝や貴重 な遺物が数多く発見され、当時の交易の広さを再確認する結果となった。 船体も確認され外板主体構造の発達を見ることも出来た。
3. Cape Gelidonya ケープ ゲラドニヤ イメージ
年代 1200BC
水深 26-28m
発掘 1960年
発掘費用 $18000
ジョージ・バス先生最初の水中発掘。銅のインゴットなどが確認されたが、船体はほとんど残っていなかった。
4. Pabuc Burnu パブチ ブルヌ イメージ
年代 6世紀BC
水深 42-45m
発掘 2002-2003
アンフォラ 約200個
船体 長さ20m
ギリシャ古典時代の船であり、縄を使い外板を繋ぎ合わせていることが確 認された。この作り方はこれまでエトラスカン(古代ローマ)特有の技法 だと考えられていたが、この発見により実はギリシャ人がこの技法を用い ていたことが分かった。
5. Tektas テクタシュ ブルヌ イメージ
年代 440-425BC
水深 38-45m
発見 1996年 INAサーヴェイ
発掘 1999-2001
ダイブ数 5046
アンフォラ 213個
アテネが制海権を握っていた、もしくはペロポネソス戦争時代の船。船に取り付けた大理石の“目”などが発見されたことで有名となった。この遺跡の水中実測にフォトモデラーが使われ、3次元のサイトマップが作られた。
6. Kyrenia
年代 325-315BC (沈没 295-285BC)
水深 27-30m
発掘 1968-1969
船体 長さ14m 幅4.2m
ウルブルンに次ぐ有名な船。保存状態が良く、復元船が作られ日本にも入港した。ほぞを利用した外板同士を組み合わせる方法で作られた典型的な外板先行構造の船。
7.La Secca di Capistello カピステロ イメージ
年代 3世紀BC
水深 59-80m
発掘 1976-1977
1ダイブ 5.5時間
潜水時間 合計 157時間
イタリア沖で発見された船で、飽和潜水による発掘が行われた。当時とし ては一番深い水深で発掘された遺跡であったが、コストや安全面などの問 題があったためあまり使われなくなった。
8.Serce Limani セルチリマナ(ヘレニズム時代)イメージ
沈没 280-275BC
水深 35-37m
発掘 1979-1980
アンフォラ 役1000個
船体 18m
この船はヘレニズム時代のもの。水底でのがけ崩れの土砂に埋もれていた。 岩を動かすとがけ崩れを再発させる可能性があるため貴重な遺物も まだ水底面に残されたまま発掘は打ち切られた。
9.Kinneret Boat
年代 1世紀BC-AD
発掘 1986
調査 イスラエル考古学本部
船体 8m
イスラエルを襲った干ばつの際にガリラヤ湖で発見された小さな釣り船。修復の跡や船材の再利用が確認され、長期間使われていたことが分かった。
10.Yassiada7世紀 ヤシアダ イメージ
年代 AD625以降
発掘 1961-1964
水深 32-39m
船体 長さ21m
ダイブ数 合計3533
ヤシアダの名前はまた後でも出てきます… さて、この沈没船は外板主体構造からフレーム主体構造への過渡期にあると考えられています。船の底部は外板を組み合わせてからフレームを入れてますが、船の上部はフレームを先に立ち上げている可能性があります。
11.Tantura Lagoon タントュラ ラグーン イメージ
年代 AD4-10世紀、18世紀
発掘 1994-1996
場所 イスラエル Dor遺跡の港跡
沈没船の数 7隻
シルト層が厚く堆積していたため、無数の船が時代を超えて保存されてい ます。9世紀の船はフレーム主体構造で作られており、外板主体構造から 完全にフレーム主体構造へと発達した最初の船の証拠です。
12.Bozburun ボズブルン イメージ
年代 880年ごろ沈没
水深 30-35m
発掘 1995-1998
積荷 1200-1500個のアンフォラ
船体 長さ15m 幅5m
船は外板主体構造からフレーム主体構造への過渡期であると考えられており、船が何かのプランに沿って作られた可能性があるそうです。アンフォラの作りが全体的に悪く、また形もまちまちでした。アンフォラをリサイクルしているのでしょう。いわゆるヨーロッパの中世のこの時期は経済的にアラブから圧迫を感じていた時期でした。
13.Serce Limani セルチリマナ(11世紀)イメージ
年代 1025年ごろ
水深 33m
発掘 1977-1979年
ガラス容器 10-20,000個
船体 長さ15.6m
ウルブルンにつぎ、一番有名な沈没船ではないでしょうか?積荷のメインはリサイクルに使われるガラスの破片です。チェスやバックギャモンのピースも発見されています。Tantura発見以前までは最初のフレーム主体構造で作られた船だと言われてました。
14.Camalti Burnu
年代 13世紀
水深 22-35m
発掘 1998-2004年
積荷 アンフォラ800個と37個の錨
船体 長さ25m、幅5-6m
この時代になるとアンフォラはほとんど使われなくなります、古代から続いていた歴史が変わっていきます。発見された持ち物などから修道院のメンバーが乗っていたのではないかと言われています。37個の錨は一体なぜ必要だったのでしょう?積荷の一部でしょうか?
15.Black Sea Shipwrecks
年代 5-6世紀
水深 320m
発掘 水中ロボットにより一部発掘
船体 長さ13m
黒海はその昔、湖でした。しかし、海水が流れ込み環境が大きく変わってしまいました。この時、海水と淡水は混ざり合わず、海水の下の無酸素状態の淡水層が出来ました。この無酸素の状態では有機物の保存が驚くべき良かったのです。ただし、無酸素層は200m以下。スキューバではなかなか潜れないため、バラード博士が水中ロボットを駆使し、発掘を行っています。
16.新安沈没船
年代 1323年
水深 20m
銅銭 7,000,000枚
船体 長さ28.4m 幅6.6m
なぜ新安沈没船がINAと関係あるのか?INAからDon Kiethが韓国に派遣され、調査をしました。この沈没船については改めて解説することもないでしょう。南部中国から出発した船で博多に向かう途中でした。日本は中国から大量の銅銭を輸入していました。
17.Almere
年代 1422-1433年
発掘 1986年
積荷 不明
船体 長さ16.4m 幅4.2m 30トン
中世北欧のハンザ同盟を世界最初の多国籍経済同盟として成功させた理由にはコグ船の唐最良と安定性の効率の良さの影響があります。さて、こ の船は水中ではなく畑の真ん中から発見されました。カルゴなどはすべて なく、昔、浅瀬だったところに破棄された船だったのでしょう。
18. Ko Si Chang
年代 1600年ごろ
水深 32m
発掘 1983、1985年
船体 長さ20m
タイで発見された沈没船です。オーストラリアのJereny Green博士が発掘を担当しました。Ko Si Changの他にもPatayya、Ko Kradat沈没船なども発掘しました。中国からの影響を受けているもの、中国から移民した人が作った、東南アジアの影響を受けた船などいろいろあります。船の考古学の専門家にとっては面白い発掘がタイにはたくさんあります。
19.Yassiada
年代 16-17世紀
水深 39-43m
発掘 1967、1982-1983年
船体 長さ20m、幅7m
ヤシアダとはトルコ語で“平たい島”という意味です。周りが深い海なのですが、ここだけぽつんと浅瀬になっており、夜に航海をしていると浅瀬に気がつかず沈んでしまう運命にあります。そのため、この遺跡では時代 の違う船が重なり合って発見されました。この沈没船はオスマントルコの 軍艦ではないかと言われています。
20. Zuiderse
年代 17世紀後半
発見 1962
発掘 1989
船体 長さ 16.5 m
この船はオランダのとある畑のど真ん中から発見されました。17世紀には海岸だったのが埋まったそうです。カルゴなどはほとんどなかったのですが、頑丈に作られた商船です。この時期になると、現代作られている“伝統的”な船との対比が出来ます。これ以前では船の作り方などが違っており、直接に関連付けることが難しいです。
21.Pepper Wreck ペッパーレック イメージ
年代 1606年 9月14日 沈没
水深 10 m
発掘 1996-2001
積荷 胡椒、陶磁器など
船体 長さ 40m
ポルトガルの船でインドまで航海をし、あと少しでリスボンに着く前に大量の胡椒を積んだまま沈没してしまいました。胡椒の他にもアジアの陶磁器が積まれていました。いわゆる南蛮船で、実は日本人も乗っていました。彼はミゲルと改名しており、日本刀の一部なども発掘されました。ミゲルは救助され、後に中国に移住したことがわかっています。
22. Monte Cristi モンテ クリスティ イメージ
年代 1658-1665
水深 4.4 m
発掘 1991-現在
積荷 500,000個ほどのタバコのパイプ
ドミニカ協和国では幾つかプロジェクトが行われています。発見されたパイプはオランダで作られたものですが、ヨーロッパ人用の物だけではなく、アメリカ・インディアンが好むデザインのものもありました。当時の貿易のメカニズムを知る上で重要な資料として研究が進められています。
23. La Belle ベル号 イメージ
年代 建造 1684年 沈没 1686年
水深 3.4 m
発掘 1996-1997年
船体 長さ 16.5m 幅 4.6m
フランスの冒険家La Salleの船でテキサス沖で沈没しました。新しい領土への探検は失敗に終わっていますが、La Salleはフランス、アメリカの歴史上、有名な人物として知られています。水深が浅かったため、ドライドック方式で発掘されました。発掘は終わりましたが、現在でもテキサスA&Mの保存処理ラボで遺物の保存・研究が行われています。
24. Port Royal ポートロイヤル イメージ
年代 1692年 6月7日 11:43分
面積 13ヘクタール
発掘 1981-1990
水深 2.7 m
ジャマイカの港、ポート・ロイヤルは映画「パイレーツ オブ カリビアン」にも登場した有名な海賊の港でした。1692年の地震と津波により島の人口7-8000人のうち5000人ほどが亡くなったと言われています。建物の構造、道の作りなど当時のまま発見されました。また、沈没船も何隻か見つかっています。
25. Mombasa Wreck モンバサ沈没船 イメージ
年代 1681年建造 1697年沈没
水深 18m
発掘 1977-1980
船体 竜骨 30m
この船はポルトガルの占領下にあったインドのゴアで作られました。ポルトガルがインド洋の制海権を失いつつあった時代に作られ、ケニアのJesus砦の前で撃沈させられてしまいました。ケニアとINAの協力の下、船の一部が発掘されました。インドの職人とポルトガルの船大工の技術の融合を調べるため、最近新たに研究が進められています。
26.Great Basses Reef
年代 18世紀
場所 スリランカ
調査 1993年
地中海に比べインド洋の沈没船の調査はあまり知られていません。スリランカの南に位置する紺の遺跡もあまりメジャーではないでしょう。しかし、この地域には無数の沈没船が存在しています。オーストラリア海洋博物館のGreen氏が調査を行い、オランダの船などを発見しています。
27.Sadana Island 紅海サダナ島 イメージ
年代 1765年
水深 30m
発掘 1995-1998
船体 長さ50m 幅18m 900トン
紅海にも無数の沈没船があることでしょう。その中の一つがこの遺跡です。オスマン帝国が力を振るっていた時代です。発掘された船には中国製の陶磁器などが積まれていました。また、壷などの中身や遺跡から花粉なども検出され調査されました。
28.The Plantation Vessel
年代 1780-1810年
発掘 1992年
船体 長さ13.4m 幅 5.1m
ジョージア州で発掘された貨物船です。国家プロジェクトで川の流れを変えた後、泥の中から発見されました。積荷や遺物などはほとんどなく、捨てられた船だったのでしょう。1日に平均4匹のワニが遺跡の近くを訪れたそうです。
29. Privateer Defence ディフェンス号 イメージ
年代 1779年製造および沈没
発掘 1975年―1981年
船 大砲の数 16 船員 100人
アメリカ独立戦争時の船です。イギリス軍に追い詰められた船長が船の爆破を命じた。発掘の結果、予想以上の遺物の種類と数が発見され、爆破の命令が下された後、数分で船から船員をすべて移動させたと伺える。貴重品などを含めさまざまな遺物が残されたまま沈んだ。
30.The Betsy
年代 1772年製造 1781年沈没
水深 7m
発掘 1982-1988年
船体 長さ 23m 176トン
アメリカ独立戦争のヨークタウンの戦いの際に沈没した船のうちの一つ。視界が悪かったため、回りを囲み、水をフィルターを通して発掘を行った。ドライドックにしなかった理由は遺物の乾燥を防ぐためとこのほうが安上がりであるため。また、沈没船遺跡から花粉などを本格的・体系的に調査した最初の例でもある。
31.The Ten Sail
年代 1794年 2月8日
船 HMS Convert 他9隻
場所 ケイマン・アイランド
ダイビングの名所、ケイマン・アイランドで歴史的にもっとも有名な沈没船は個の10隻でしょう。1980年代から調査の計画があり、90年代に本格的な調査がおこなわれました。1994年にはエリザベス女王も遺跡を訪れました。
32.Cleopatra’s Barge
年代 1816年製造 1824年4月6日沈没
船名 Ha’aheo o Hawai’i
発掘 1995-2000
船体 30.5m
マサチューセッツで大金持ちの船大工が製造。豪華絢爛に作られたヨットでした。その後、ハワイのカメハメハ2世が購入。ハワイ到着後沈没。しかし、カメハメハ2世はイギリスにいたが、船の沈没のニュースを聞く前に病死してしまった。
33.A Horse Powered Ferry
年代 1820-40年製造
水深 15m
船 船員 2-4人、馬2匹
船体 長さ 18m 幅 4.6m
19世紀初期のトレンディーな発明は“馬”をエンジンとして利用することであった。いろいろな思考錯誤があったようです。馬をぐるぐる歩かせる方法は馬が船酔いをするため失敗など。結局は、この発掘された船の方法(馬を固定させ、ベルトの上を歩かせ、そのベルトが軸と歯車で外輪を回す)が一番効率が良かったが、蒸気エンジンがすぐに一般的となり、水の上を歩く馬は、一部の人以外には忘れられた存在となった。
34.Red River Wreck レッドリバー イメージ
年代 1838年 5月 沈没
発掘 2001年から2006年現在進行中
船 160トン 船員 20人
船体 長さ 42.7m 幅 7.3m
オクラホマ州唯一の調査された沈没船で、テキサスとの州境を流れるRed Riverで沈没。透明度がほとんど0、そして川の流れが速い中、発掘を行っている。外輪ボイラーエンジンを搭載していた。豚のドラム缶詰めなども発掘された。
35.The Denbigh
年代 1865年 5月に撃沈
発掘 1998-2002
船 カルゴ コットン 船員 21人
船体 長さ 55.5m 幅 6.7m
アメリカ南北戦争時にアメリカとヨーロッパの間で密輸を行っていた船です。イギリスのエンバルゴは効果的でしたが、デンビーは13往復もしたそうです。これは当時としてはかなりの記録です。サイドスキャンソナーで調査をしたそうですが、珍しく初日に発見したそうです。あまりにも簡単に発見できたので逆に興奮も冷めてしまったとか。
36.The Lake Champlain Wrecks シャンプレン湖 イメージ
年代 18-19世紀
水深 122m以下
湖の長さ 103km
船の数 250隻作られました
Lake Champlainは日本人にとっては馴染みのない地名でしょう。この湖(川?)は南北に細長くカナダとアメリカを結ぶため、戦略的に重要な意味を持っていました。独立戦争、そして特に1813年のアメリカとイギリスの戦争のときに重要な戦いの舞台となり、数々の軍艦が沈み、そして、発掘されています。
37.The Titanic
年代 1912年4月12日沈没
水深 3798m
船員 2207人 (内生存者 705人)
船体 長さ269m
言わずと知れたタイタニック号です。バラード博士とフランスが合同調査を行い、発見しました。バス先生も潜水艦に乗ってタイタニックを見てきました(その時取った8ミリビデオなどを見せてもらいました)。どうでもいい話ですが、タイタニック号のそばで潜水艦の中で結婚式を挙げた人もいるとか…また、この船の石炭を買うことが出来ます。バラード博士は研究目的のためのみにタイタニックが使われることを願っていましたが、残念ながら有名になり、コマーシャリズムにのっとられたた例となってしまいました。
38.Truk Lagoon
船名 札幌丸
年代 1944年4月沈没
用途 底引き網漁船から軍事輸送船に転換
トン数 361トン
トラック諸島には無数の旧日本軍の沈没船が眠っています。この中の一つ、札幌丸がグリーン博士によって調査されました。サイドスキャンによるサーヴェイ、そして撮影などが行われました。
39.D-Day Craft ノルマンディー イメージ
年代 6月6日 1944
船の数 5500隻
装甲車の数 30,000台
戦車の数 128台
6月6日、1944年はヨーロッパの歴史にとっては大きな意味を持って います。ノルマンディー上陸作戦、ことD-Dayです。この船上跡地に も水中考古学のメスが入ります。主に、サーヴェイが行われました。
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