マレーシアの水中考古学者

マレーシアの水中考古学者Shahriman Mohd Ghazaliさんのインタビューです。 トレジャー・ハンターの活動が活発なため早くから水中文化遺産への芽生えがあったマレーシアですが、その反面、いまだにトレジャー・ハンターから脱却できないようです。 しかし、海外で水中考古学を学んでマレーシアにその学問を持ち帰り水中文化保護の必要性を呼びかけています。 

インタビューの内容の一部を日本語に訳しましたのでご覧ください。
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「考古学者はもっと尊敬されるべきです!なぜなら考古学者は失われた文化を再現できるからです。」マレーシアのKebangsaan大学で海洋科学を教え、また海洋考古学コンサルタントのShahriman Mohd Ghazaliさんは考古学者は過小価値されているのではないかと疑問に思っているそうです。沈没船が見つかったと報道があると、最初に聞かれるのは“引き上げたらいくらになる?”だそうです。 文化遺産は歴史的価値があり、金銭価値できるものではないのです。 

Shahrimanさんは1995年にSouthampton大学(UK)で海洋考古学を学びました。 ちょうどオランダ船Nassau号が発掘されていた時期でした。 Nassau号はRachardo岬海戦(1606年)中に沈没した船の一つでした。 (この海戦はオランダとポルトガルがマラッカの支配権を巡って引き起こしたものです) この時沈没した船(Mideleburg号、ポルトガルのSao Salvador号とDon Duarte号)には当寺の遺物がまだたくさん眠っているはずです。この発掘はKebangsaan大学が主体となり、今までの水中考古学事業の中では最大規模のものでした。 

Shahrimanさんは留学中バルト海の古代船に触れることが出来ました。 バルト海はその環境状況のため(塩度が低く、水温が低いなど)木材が良く保存されるので古代船の研究にはとてもよい環境にあります。 しかし、マレーシア近海は海水温が高く、バクテリアやフナクイムシなどの活動が活発なため木材はすぐに無くなってしまいます。Shahrimanさんは特にスウェーデンのヴァーサ号と国家の取った水中発掘・保存事業への取り組み方に関心を持ちました。  (ヴァーサ号は1611年にスウェーデン王が国家の威信を懸けて作った船でストックホルム港内で処女航海中に沈没した船です)1960年代から発掘が始まり、船が丸ごとポリエチレン・グレコール(PEG)を使い保存処理から17年間掛かりました。 26,000件以上の遺物なども保存されました。 このヴァーサ号に初めて乗り込んだとき感動したそうです。「これだけの事業に20年以上も資金と努力をつぎ込んだのに驚き、またイギリスのメリー・ローズも同じように驚かされました。」メリー・ローズ号は1509-10年にイギリスのポーツマスで作られました。 この沈船引き上げの価値は金銭的なものは全くなく、次の世代にこの船の歴史的意義を残していけることが大切です。 

Shahrimanさんはトレジャー・ハンターがあらゆる手を使い沈船を荒らしていくのを見てきました。 「彼らは科学の人間的側面を見ず、ただ遺物欲しいだけです。」 船の小さな一部分でえ物語を伝えることが出来ます。 「沈船からその時代のテクノロジー、人々の生活、そして文明への道を見ることができます。 しかし、遺物欲しさのためだけに遺跡が破壊されると、それを再現することは困難となります。」 遺跡が科学技術を駆使して記録されことが望ましいと語りました。遺物が引き上げらると、水面に出たその瞬間から遺物の破壊が始まります。これは温度変化や湿度の違いによるものです。 「船が2-3日で塵となることもあります。」「このため、保存処理に労力をつぎ込むことが出来るかが問題となり、保存処理なしでは海の中で残してサーヴェイだけをおこなうことが良いと言えます。」 

Shahrimanさんの成し遂げたい目的はマレーの造船史を発見することです。 マレーの船は外国の文献にも多数書かれています。 「しかし今日までこのような発見はない。 ポルトガル、オランダ、中国のジャンクなどが主である。 マレー船を発見した日は私はとても嬉しい老人となるであろう。」 

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